パーキンソン病の今を本気で生きる(※一部抜粋)
私がパーキンソン病(PD)を自覚し始めたのは、平成に入ってからでした。右手が何もしていない時に振るえたのです。県立病院の神経内科で診察を受けました。本態性振戦、PDなどが考えられると言われました。
健康診断で、医師から初めて「PDなので指示に従い治療を」と言われ、大変ショックでした。当時は右手に振戦があり、右肘と右手首の関節が少し重かったです。
その後、セカンドオピニオンを求めて、市内の病院に行きました。MRIや認知機能検査などを受け、再びPDと診断されました。8ヶ月後の5月には、この病気特有の無動や姿勢反射障害(体のバランスが悪くなり倒れそうになること)、小刻み歩行、前傾姿勢がありました。
数年後の12月、振るえが大きくなり筋肉の固縮がみられました。親戚の紹介で、とある病院の先生を訪ねました。
MIBG心筋シンチ検査を行い、触診で筋固縮がすでに始まっていることを指摘されました。先生は、「3年後位にさらに症状が進んだら、私の患者として入院し、DBSができるから」という希望に満ちた言葉をかけて下さいました。
この瞬間、私の中で(自分が気にしているだけで、本当は病気ではないのでは)という期待は完全に消え、「PDに間違いない」というショックと、「最高の先生が救って下さる」ことへの感謝が共存して頭痛を感じていました。
それから2年後の11月頃になると、1日のうち「オフ」が、長くなってきました。車で職場の駐車場まで運転できますが、降りると足が前に出ないので歩けず、職場までの約100mに約20分かかったりして遅刻が増えてきました。昼食後の歩行困難もありました。授業の多くを2人でティームティーチング形式やっていたので、5校時の教室になかなか行けなくて、「先に始めていて」とお願いすることが増えました。
薬が効いてくると、無動状態から急に健常者同様の動きができるONの状態になるため、急な変化を理解しがたいので、職場で誤解されることもありました。難病であることを自分が職場で公表していないことが第一因であることはわかっていました。自分が弱くて「私はPDにかかっています」と言う勇気がありませんでした。
次第に、立ち上がる時倒れそうになったり、歩きづらいということが増えてきました。本当は親の介護のために購入していた車いすを自分が使用し、家族に介助してもらって移動することもありました。便秘も増えてきました。就寝が深夜になったとき、稀に実際には外には誰もおらず無音なのに、カサコソと人が話すような幻聴がありました。本で読んでいましたが自分で体感するとは思ってもいませんでした。
学校では、研究主任などをしても担任業務は動けないので外していただき、武道の競技経験はありませんでしたが、剣道部や柔道部の主顧問をすることにしました。練習試合を重ね、少しずつチームは強くなり、夏の県大会や中国大会で勝ち上がる生徒も出てきました。その反面、大きな大会では朝、不自然な歩き方が救護係の看護師さんの目にとまり、救護室に行かざるを得ないことに。団体戦に出していただけず、監督不在で生徒に迷惑をかける情けないことになってきました。
今が手術を受ける時期では、と考えるようになりました。
11月末に、難病であることを職場の管理職に伝え、3学期から年度いっぱいまでを私傷病休暇として、代わりの講師を配置していただけることになりました。
翌年2月、Kさんと出会うことができました。Kさんの経験談を読んでみると、約10歳先輩で私とほぼ同じ年齢の頃に同様の病状で、約10年前に手術をされたとのことでした。この出会いから、もし私が手術をすれば、病状は改善し10年後なんとか元気に過ごしているかもしれないという心強い希望を抱きました。
上記コラムについては、全国パーキンソン病友の会の会報誌に掲載された内容を個人が特定できない形に修正した上で、同会のご承諾のもと掲載しております。