PD

Vol.01

若年性パーキンソン病と診断されるまで

今から約7年前「若年性パーキンソン病」と診断されました。

同僚から「靴がキュッて鳴ってるよ」と指摘されたのはそれより2年程前、右足だけ「キュッ、キュッ」と鳴っていました。
この音は靴底と床が擦れる音で、右足を十分に上げることができていなかったのが原因かなと思います。
指摘され気付くくらいだったので、その後も気に留めることはありませんでした。

私が初めて違和感を覚えたのは「右手の動かしにくさ」
食器を洗っている時、何となく感じました。

意識が動かしにくさに集中すると手の動きが止りました。
「あれ?どうやってコップの内底洗ってたっけ?いや、洗い方はわかるけど手の動かし方がわからない」

洗い方は今までの経験からイメージできていました。ただ「手を動かす」という指令が脳から出ていない。そんな感覚でした。

咄嗟に近くにいた主人に
「右手動かしにくいんやけど。」
相談するように言えば多少気にも留めてくれたのかもしれません。
しかし当時の私は家事と育児と仕事に追われ、夫婦の会話というものはほとんどありませんでした。

そんな状態の中、ぶっきら棒に言った私の言葉に対し主人は
「気のせいやろ」
頭の中がイライラで埋め尽くされていくのがわかりました。
今まで意識が動かしにくさに集中していましたが、それがイライラに変わった瞬間、私は食器を洗い始めていました。
本当に「気のせい」だったかのように。

その後も動かしにくさを感じることがありましたが「気のせい」そう心の中で繰り返していました。
イライラだった言葉はいつの間にか不安な気持ちを拭い去るための「おまじないの言葉」に変わっていました。
「気のせいだから大丈夫」

私たち夫婦は共に看護師です。
運命なのか私の看護師人生の半分は脳神経に携わっていました。

そのためすぐに脳の疾患を疑いました。
疑いつつも初めて受診したのは整形外科。
「脳だなんてオーバーな、きっと体の歪み。」

同僚の紹介で某整形外科クリニックに行きました。
気さくな先生で話をしっかり聞いてくれました。

そこでは「胸郭出口症候群」
初めて聞く病名でしたが、先生の説明を聞いていると今までの漠然とした不安が小さくなっていくのがわかりました。

帰宅後、ネットで調べました。
クリニックでは不安が小さくなったのに、調べれば調べるほど不安が大きくなっていくのを感じ大きくなっていくのを感じました。
「あれ?この病気じゃない気がする」

そして今度は別の整形外科クリニックを受診しました。
最初の先生とは違いかなり横柄な先生。
「〇〇先生(最初に行った整形外科クリニック)のところで、胸郭出口症候群って言われたんでしょ。じゃあそうだよ。」

表情や話し方、態度から他人事感が伝わってきて「二度と行かない」と思ったと同時に、これは整形外科分野ではないのかもしれない。

そして余命を告げられる覚悟で脳神経外科を受診しました。
これで全部わかる……
穏やかな印象の先生は画像を見ながら丁寧に説明してくれました。
でも最後に「画像を見ても脳はすごく綺麗で異常ないよ」

異常ないの?本当に気のせい?

安心したような不安が増したような、複雑でした。
そんな中、一緒に暮らしている主人は明らかな変化に気付いていました。
そしてこう言ってきました。

「先生に相談したら早く大きいところにいった方がいいって。△△大学病院行こう」

続く・・・