PD

Vol.02

診断された時の気持ち

私は紹介状をもって大学病院の脳神経内科に行きました。
自分の中で異変を感じていたため、大きな病気かもしれないという「不安」とやっと病名がわかるという「期待」で複雑でした。
脳神経内科の待合室は患者さんが多かったのを覚えています。
恐らく多くの若年性パーキンソン病の方が感じたと思いますが
「若い人は私だけ…」
まずそれだけで気持ちが重くなりました。

どれくらい待ったか分かりませんが、名前を呼ばれ主人と一緒に診察室に入っていくと白髪混じりの男性の医師が笑顔で向かい入れてくれました。

私は診察室に入る前に決めていたことがありました。
それは医師の表情を読み取ること。

私の体は「異変がある」ということは感じ取っていました。
ただ、どの程度かまでは分かりません。
幼い子供がいるため、もし命に限りがあるとしたらそれを早く知り、残された時間を母親らしく過ごしたいと考えていました。

男性医師は私たちを椅子に座るよう促しつつも、既に私の動きを観察していました。
問診、手・足関節の柔らかさや動き、歩行状態と一通りの診察を終え、再度椅子に座るよう促してきました。

挨拶した時に比べ、笑顔はありませんでした。

「お二人とも看護師さんだから言うね」
という前置きの後、続けて
「パーキンソン病の可能性があります。まだ確定診断しないとわからないから検査の予約を入れましょう。」

パーキンソン病、看護師をしていた私には聞き慣れた病名でした。
そのため一番最初に思ったことは
「死ぬわけではない、子供たちの成長が見れる」
不思議とホッとしました。

でもそれは一瞬で、すぐに絶望に変わりました。
「目の前が真っ暗」と言う言葉がありますが本当に闇の中に落ちていく感覚でした。

気付いた時には、主人と一緒に待合室の椅子に座っていました。
「大丈夫だから」
一番最初に掛けられた言葉。

まだ確定したわけじゃない、パーキンソン病ではないかもしれない。
そう言う意味の言葉だと思います。

でも「世の中の負の感情」を1人で背負い込んだ気持ちになっていた私は
「何が大丈夫なの?パーキンソン病だよ。名前が嫌だ」

続けて次の言葉を言う前に涙が溢れ、そっぽを向きました。

『体は勝手に動くし、突進歩行だってする、よだれだって垂らす。恥ずかしくて嫌だ。
そんな姿の私を自分の嫁だと紹介できるの?』

看護師としてパーキンソン病の方の看護をしてきた私の本音。

そして検査の日。 脳ドパミンシンチと心筋シンチは時間も費用もかかる検査でした。
特に費用はパーキンソン病かもしれないというだけで心はボロボロなのに更に追い討ちをかけてきました。

焦ったのがその日に結果がわからないと言うこと。
はっきり何日後だったかは覚えていませんが、検査結果は1人で聞きにいきました。

画像をみながら 「パーキンソン病で間違いない」と言われその後の記憶はありません。
ただひたすらどう主人に伝えようかと考えていたのは覚えています。

夜勤前の主人は子供たちと家で待っていました。
目が合った瞬間、笑いながら「ビンゴー」みたいなノリで
「パーキンソンやったー」
と言いました。

それに対し主人は 「なんで笑っていられるん?」
怒ることの少ない主人の口調は強めでした。
『何年私と一緒にいるんだ!泣きたいのを我慢してるんだよ!』
そう心の中で叫んで、その場を離れました。
ここから私と私の家族の日常は変わっていきます。

続く・・・